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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [5]




 俺の事が好きだ? 冗談だろうっ!
 チョコーレートは、自宅の部屋の隅に転がっている。食べるつもりはない。包みを解くつもりもない。目にするのも嫌で、適当に雑誌で押し潰して隠した。捨てたって構わないとも思っている。
 だが、捨てる事もできない。
 せめて家までは持って帰れと言いながら聡の手首を掴んだ美鶴。捨てたら、捨てた事が美鶴にバレたら、なぜだか酷く詰られるような気がした。
 俺と田代の気持ちが通じるだなんて、そんな事はあり得ない。絶対に、120%あり得ない。
 そんな事は田代だってわかってるはずだろう? それとも何だ? アイツ、自分が抱きつけば、男なら誰だって自分を好きになってくれるとでも思っているのか?
 くだらない。考えるだけで吐き気がする。金本くんは渡さない? よく言うぜ。その度胸は褒めてやる。表彰モンだよ。
 シャーペンを握り締める。
 別に無視すればいい。俺がアイツを好きになる事はない。だけれども。
 掌に力を込める。ぺキッと、嫌な音がした。
 アイツ、これ以上変な行動なんてしねぇだろうなぁ?
 それが聡の不安の種。
 里奈の気持ちを受け止める気はサラサラ無い。だが、今後、里奈が再びとんでもない行動をしでかしたとしたら、それはそれで厄介だ。
 校門で叫ばれて抱きつかれたのだって、それだけでも十分迷惑だったしよ。やっぱり、ここは一発、アイツにガツンと言っておいてやった方がいいのかもしれないな。
 美鶴に変な誤解や期待を持たれるのも嫌だし。
 期待。
 虚しさのような嫌な感情が湧く。
 美鶴、まさか俺と田代がくっつけばいいだなんて、そんな期待、してねぇよな?
 額に掌を当てた時、授業の終わるチャイムが鳴った。





 思い立ったら行動せずにはおれない。それは、聡の長所でもあり、短所でもある。
 放課後、一度は駅舎へ顔を出した。美鶴と瑠駆真を二人っきりにさせてしまうのは、さすがに我慢できない。ツバサが姿を見せるのと交代で駅舎を出た。
「珍しいね。美鶴を置き去りにして行くなんて」
 瑠駆真の瞳に嫌味で返す。
「そういうお前こそ、大丈夫か?」
「何が?」
「嫁探し。最近はあの黒人の女、来てないみたいだな。相手が決まったのか?」
「僕の相手は、最初から決まっているよ」
 そんな相手を睥睨してやる。
 一番の強敵は、やっぱりコイツだな。
 再確認する。
 やっぱり、コイツと二人っきりにはさせられねぇ。
 ツバサの存在を有難いと思いながら電車に乗った。
 唐草ハウスの最寄の駅。それは、美鶴のマンションへの一番近い駅でもある。
 毎日美鶴が使う駅。改札を抜け、大股で歩き出す。
 美鶴と田代。考えてみたら、結構近くに住んでるんだよな。
 偶然、だよな。
 美鶴のマンションを用意したのは瑠駆真だ。まさか里奈の存在を知って用意したとは思えない。
 どうせなら、もっとマシな偶然にしてくれれば良かったのに。例えば、偶然俺の家の近くのマンションだった、とかさ。
 自分の家の近くに美鶴が引っ越してくる。
 朝、いつものように家を出る。今日も学校かとうんざりした気持ちで駅への道を歩く。まだ少し眠くて頭もまわらない。そんな時、ふと前を見ると、見知った後姿が歩いている。
 また伸びてきた髪の毛を項で結び、母親から譲られたヨレヨレのコートを羽織って歩いている。首元には真っ赤なマフラー。美鶴にしては派手過ぎる。これも母親からのお下がり。美鶴はあまり好きではないらしい。だがそれでも巻いているのは、寒さに勝てないからだ。
 聡は後ろからソッと忍び寄り、マフラーの端っこを掴んで引っ張る。
「きゃっ」
 可愛い声と共に美鶴が振り返る。そうして犯人を()めつけ、憮然とマフラーを引っ張り返す。
「朝っぱらからくだらない事をするな」
 口を尖らせて不愉快そう。
「遊んでいる暇があるのか? 遅刻するぞ」
 言いながら、再び歩き出す。聡はその横に並ぶ。並んで歩く聡の存在に、美鶴はチラリとだけ視線を投げる。だが、何も言わない。
 何も言わないまま、二人並んで登校する。
 聡は思わず右手で口元を押さえた。知らないうちに、ニヤけていた。
 慌てて周囲を見渡す。幸い、誰もいない。
 ホッと胸を撫で下ろす。すると、今度は空虚が胸を支配する。
 想像の中の、幸せな朝。
 俺、馬鹿なんじゃないのか?
 口に当てていた掌を額に押し当てる。
 出来もしねぇ事を想像して、なんになるって言うんだ? それに、こんなのは想像じゃなくって、妄想だ。
 妄想。
 不快な気持ちになる。
 それこそありもしない妄想の世界に浸って楽しんでいる人物と、聡は同居している。
 両親は、義父は知らないのだろうか? あんなくだらないゲームに(ゆら)がハマっている事に。
 知らないのだろう。どうせ仕事一色なのだろうから。
 母親は、義父が経営する税理士事務所の手伝いに生き甲斐を見出してしまったらしい。自分が必要とされている喜びを得るべく事務所に籠もり、子供の世話は通いの家政婦に任せている。
 だが、だからといって放任されているわけではない。特に進路に関しては相変わらず煩い。
 それに、美鶴との関係。
 あれ以来、美鶴に関わるなといったアカラサマな言い方はしてこない。だが、良くは思ってはいないのだろう。聡と美鶴との関係で何かしら噂が立てば、またなにか言ってくるのかもしれない。
 瑠駆真と美鶴の携帯写真、母は知っているのだろうか? あれだけ大騒ぎになったのだ。保護者が知ってしまってもおかしくはない。
 もし聡の母が見たら、どう思うのだろうか? やはり美鶴ははしたない人間だなどと、思うのだろうか?
 もしも、あの写真の相手が瑠駆真ではなく、聡だったとしたならば?
 聡は立ち止まり、瞳を閉じた。
 別に構わない。別に知られたって、見られたって、俺は美鶴が好きなんだから、だから別に隠す必要はねぇよ。







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